べっぴんさん|紀夫が坂東営業部を辞める!驚きの今後とは?

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、坂東営業部の再興を誓った紀夫

なんと同社を退職してしまいます。

 

彼は復員後、坂東家の当主として潔やゆりとともに同社の立て直しにあたって、

潔もゆくゆくは社長の座を譲る考えでした。

 

またキアリスの大急百貨店への出店の橋渡しをしたり、洋裁教室の担当者として

奔走しています。

 

ようやく坂東営業部での仕事も板についてきた紀夫ですが、

なぜこれからという時に同社を辞めてしまうのでしょうか?

 

しかもそこには驚きの今後がありました!

 

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紀夫が坂東営業部を辞める!驚きの今後とは?

 

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紀夫が坂東営業部を退社するのは、妻であるすみれを支えるためです。

 

その頃にはすみれは大きく成長し商品づくりだけでなく、

大急百貨店との折衝や売り場のレイアウトなどキアリスの

実質的なリーダーとして慌ただしい日々を送ることになります。

 

しかしかなりの負担から体調を崩して寝込んでしまったり、

仕事と家庭の両立ができなくなってしまいます。

 

そんなすみれを支えるために、紀夫は坂東営業部を退職することになります。

 

もちろん将来的には坂東営業部の社長を任せるつもりの潔は強く慰留しますが、

紀夫の意思は固くそれを振り払ってまで同社を辞めていまいます。

 

そしてその後はなんとキアリスに入社することになります。

 

そのため紀夫とすみれの坂東夫妻は、今後は公私ともに手を取り合っていくことに

なります。

 

このあたりのエピソードは、モデルとなった坂野惇子と通夫の夫婦の実話が

下敷きになっています。

 

昭和25年(1950年)4月にベビーショップモトヤはファミリアとなるのですが、

同年8月に流れで社長に就任した元田蓮(麻田のモデル)が本業の靴屋に専念

するために辞意を表明します。

 

同じく監査役を務めていた田村光子の夫の田村陽も、実家の田村駒商店の監査役に

就任するために辞任し、常務を務めていた商店街の婦人服店の店主の川村睦夫も

辞任します。

 

商品づくりに定評のあった惇子たちですが、会社経営にはからっきしだったので

夫らがサポートすることになったのですが、再び4人の創業者だけになってしまいました。

 

また田村江津子の夫の寛次郎(勝二のモデル)は田村駒の専務を務めており、

村井ミヨ子の夫の完一(昭一のモデル)は当時はさほど積極的にファミリアの経営に

関わっていませんでした。

 

このような状況からファミリアを支える存在として白羽の矢が立ったのが、

通夫だったのです。

 

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当時の彼は佐々木営業部の尾上清の下で働いており、尾上もゆくゆくは通夫を

社長にする意向を持っていたので相当悩んだようです。

 

しかしやはりファミリアの経営を惇子に任せるのはあまりにも負担が大きいことから、

佐々木営業部を退社して同社に入社すること決めました。

 

これには尾上も猛然と反対し、出向という形を持ちかけますが、

結局は通夫は退社に至ります。

 

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(通夫がファミリアに入社した頃。後列左が通夫、前列右が惇子)

 

尾上は通夫の退社に最後まで首を縦に振らなかったことから、

彼が佐々木営業部の社長には佐々木家の血縁者を就かせたいという

相当の思いが感じられますね。

 

とは言え、尾上は度量の大きな人物でしたので、その後の関係が悪化する

ということはありませんでした。

 

このような経緯を経て坂野通夫は昭和27年(1952年)10月にファミリアに入社し、

取締役に就任します。

 

翌年の5月に元田が同社の社長を辞めて取締役となりますが、

その後3年間は社長のポストは空位にしました。

 

そして昭和31年(1956年)5月に、通夫は正式にファミリアの二代目の社長

就任しました。

 

このような史実の流れですから、ドラマの紀夫もいずれキアリスの社長として

同社の経営をけん引するでしょう。

 

モデルの通夫と同様、紀夫もキレ者のはずですから、その経営手腕にも期待ですね!

 

 

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